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勧められた健康相談を初めて受けに行って来ました

メンタル面がかなり弱っているということもあり、先日初めて自治体で行っている健康相談に行って来ました。
普通精神科などに行ったりするとお金が掛かりますが、これは日付が決まっていて無料で受けられるというものでした。
元々この健康相談を受けるように勧めたのは福祉センターの方です。
もう精神科にも既に通院しており福祉センターの方にも相談などはしているのですが、まだ解決への糸口が見つからずに近日空きがあるから行ってみたらいかがですか?ということで勧めてくださいました。
残念ながら相談をしたけど何の解決にもなりませんでした。
私の抱えている悩みがあまりにも難しい悩みでして、相談員の方も色々考えてくださったのですが難しそうにしていました。
しかし、相談員の方は心理士の資格を持っている方で、とても親身になって話を聞いてくださいました。
はっきり言ってしまうと精神科の医師よりもよっぽど良いですね。
子供の頃からのことなども細かく聞いてこのような悩みを持つことになった背景を知ろうという姿勢が見えました。
残念ながら精神科医にはそういう所が見られませんから…。
一度切りの相談なのでもうこの優しい心理士さんに会えないのかと思うと残念です。
けど普段は別の所で活動をされているそうです。
有料にはなるそうですが、ちょっと私の住んでいる所からだとかなり遠いのでまた会いに行くことは難しいかも知れません。

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七夕、家族が健康で幸せで。

1年の半分が終わった、何て話をしていたら気づけば今日は七夕。いつも買い物するスーパーで七夕の飾り付けがされていて、息子とお願い事を書きました。私のお願いごとは家族が健康で楽しい毎日を過ごせますように。息子はお歌が上手になりますように。4歳になる息子は幼稚園でのお遊戯が苦手で、特に歌うのが恥ずかしくてできないそうです。きっとお歌上手になるね、と文字がまだ書けない息子の代わりに私が書きました。そういえば去年は何を書いたのかなと去年の写真を見返してみると、今年と全くお願い事を書いていました。思い返してみれば息子が産まれた年から私のお願い事はこればっかりだった気がします。もちろん初詣でも。子どもの頃は自分のことについてのお願い事があって、そればかり叶うことを夢見ていた気がします。ちょうど息子のように。そんな子どもの頃、母親の願い事は家族の健康や幸せを願うものばかりで、そんなこと本当に思ってるの?なんて思っていました。母親になって4年、気付かないうちに自分の母親と同じような事を私も願うようになっていたことに今日初めて気がつきました。きっと世の中の父親、母親のお願い事はこんな風に家族の健康と幸せを願ってることがほとんどなんじゃないでしょうか。自分自身の夢や願い事よりも家族のことを願えることってなんだか幸せですよね。

魔王などを見ました

ドラマを見ました。2つ見ました。「魔王」と「花より男子」というドラマを見ました。久しぶりに見ました。懐かしいなと思いながらドラマを見ていました。そして、勉強をしました。ラテンアメリカではフランス革命に刺激されて1804年にフランス領のハイチが独立しました。さらに本国がナポレオンに占領されたことに乗じて植民地は独立運動をおこし、1810年代から20年代にかけて多くの国が独立を達成しました。オーストリアのメッテルニヒはこれに干渉しようとしましたが、ラテンアメリカを市場とするねらいからイギリスが反対し、アメリカ合衆国大統領モンローはアメリカ大陸とヨーロッパの相互不干渉をとなえました。スペインの植民地においてこうした独立運動の中心となったのは、現地生まれの白人(クリオーリョ)でスペインからの独立は、本国人による差別と抑圧に対する反発を意味するものでした。独立後の諸国は共和政をしき、名目的に国民の自由と平等を確立しましたが、コーヒーや砂糖などの農産物や鉱産物の輸出にたより、イギリスやアメリカへの経済的な従属がすすみました。一方、ブラジルはポルトガルの王子をむかえて1822年に独立し、帝政をしきました。

ソフトクリームを食べた

ソフトクリームを食べました。ワッフルコーンのバニラ味を食べました。ワッフルコーンは、すごく久しぶりに食べました。ワッフルコーンの方がアイスクリームが溶けたときに安全で食べやすいなと思いました。そして、ドラマを見ました。「コードブルー」というドラマを見ました。再放送でやっていました。少しでも見れて良かったです。そして、勉強をしました。19世紀後半になるとスラヴ系民族の団結によってオスマン帝国からの独立をはかるパン=スラヴ主義がおこりました。ロシアはこれを利用して勢力拡大をはかり、1877年にオスマン帝国と開戦して勝利をおさめました。その結果ロシアに有利な講和が結ばれると、イギリス・オーストリアがロシアに強く抗議しました。ドイツの統一をはたし、外交政策によってフランスを孤立させ、またヨーロッパの現状維持につとめていたビスマルクは、ロシア=トルコ戦争後の対立をやわらげるため、1878年にベルリン会議をひらいて列国の利害を調整しました。ついでビスマルクは、1882年にオーストリア・イタリアと三国同盟を結び、ロシアとも親善を深めました。こうしたビスマルク外交によって、ヨーロッパ諸国は緊張をはらみながらも、しばらくの間平和を保つことができました。

ビーフシチューを食べた

ビーフシチューを食べました。レトルトのビーフシチューを食べました。牛肉とじゃがいもが入っていました。牛肉はやわらかくて美味しかったです。そして、勉強をしました。ビスマルクは産業資本家と土地貴族との利害を調整して工業の発達をうながし、ドイツ経済の発展につとめました。また内政の安定のため、プロイセンの支配を喜ばない南ドイツのカトリック教徒をおさえようとしましたが、社会主義勢力が進出するとカトリック教徒と妥協し、1878年に社会主義者鎮圧法を制定しました。しかしそれと並行してビスマルクは各種の社会保険制度を整え、労働者の待遇改善をはかりました。このようにして、ドイツでも共通の言語をもつ「民族」を「国民」とする理念にもとづいた統一国家が成立し、国民形成がすすめられました。ロシアでは19世紀にはいっても皇帝の専制政治が続き、強固な農奴制が残って産業の発展を妨げていました。クリミア戦争に敗れた後、皇帝アレクサンドル2世は国内の改革に着手し、1861年に農奴解放令を出して農奴の人格的自由を認め、土地所有の道をひらきましたが改革は不徹底でした。しかも、ポーランドで反乱がおこるとアレクサンドル2世は専制政治を復活させました。