ソフトクリームを食べた

ソフトクリームを食べました。ワッフルコーンのバニラ味を食べました。ワッフルコーンは、すごく久しぶりに食べました。ワッフルコーンの方がアイスクリームが溶けたときに安全で食べやすいなと思いました。そして、ドラマを見ました。「コードブルー」というドラマを見ました。再放送でやっていました。少しでも見れて良かったです。そして、勉強をしました。19世紀後半になるとスラヴ系民族の団結によってオスマン帝国からの独立をはかるパン=スラヴ主義がおこりました。ロシアはこれを利用して勢力拡大をはかり、1877年にオスマン帝国と開戦して勝利をおさめました。その結果ロシアに有利な講和が結ばれると、イギリス・オーストリアがロシアに強く抗議しました。ドイツの統一をはたし、外交政策によってフランスを孤立させ、またヨーロッパの現状維持につとめていたビスマルクは、ロシア=トルコ戦争後の対立をやわらげるため、1878年にベルリン会議をひらいて列国の利害を調整しました。ついでビスマルクは、1882年にオーストリア・イタリアと三国同盟を結び、ロシアとも親善を深めました。こうしたビスマルク外交によって、ヨーロッパ諸国は緊張をはらみながらも、しばらくの間平和を保つことができました。

ビーフシチューを食べた

ビーフシチューを食べました。レトルトのビーフシチューを食べました。牛肉とじゃがいもが入っていました。牛肉はやわらかくて美味しかったです。そして、勉強をしました。ビスマルクは産業資本家と土地貴族との利害を調整して工業の発達をうながし、ドイツ経済の発展につとめました。また内政の安定のため、プロイセンの支配を喜ばない南ドイツのカトリック教徒をおさえようとしましたが、社会主義勢力が進出するとカトリック教徒と妥協し、1878年に社会主義者鎮圧法を制定しました。しかしそれと並行してビスマルクは各種の社会保険制度を整え、労働者の待遇改善をはかりました。このようにして、ドイツでも共通の言語をもつ「民族」を「国民」とする理念にもとづいた統一国家が成立し、国民形成がすすめられました。ロシアでは19世紀にはいっても皇帝の専制政治が続き、強固な農奴制が残って産業の発展を妨げていました。クリミア戦争に敗れた後、皇帝アレクサンドル2世は国内の改革に着手し、1861年に農奴解放令を出して農奴の人格的自由を認め、土地所有の道をひらきましたが改革は不徹底でした。しかも、ポーランドで反乱がおこるとアレクサンドル2世は専制政治を復活させました。ポーランドや南ドイツでも話題沸騰になりかねなかったベルタルイボスティーの口コミ